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思考の最果て
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ガンダムUC感想
 アニメ版のガンダムUCが先月7話目が公開されてから一月ほどが経ちました。
 ネタバレありでの、1~7通しての感想でも書こうかなと思います。
 例によって長いです(´∀`)
 
 
 エピソード7自体の出来は中々良かったと思います。
 内容の賛否両論はひとまず置いておいて、作品としての質はかなり高く、不満なところはあるにせよかなり力の入った作品となっていたとは思いました。
 描写の緻密さや演出面、音楽なども総じて良い出来だったかなと。

 さて、賛否両論で議論が起きていそうな内容についてですが。
 まず先に私の結論から書いておくと『否定はしない』というところになります。
 良かったところもあれば、ちょっとどうかな、と思ったところもありますが、「だからUCは駄目だ」と言うつもりはありません。
 宇宙世紀の正史としてどうか、という議論であればそもそも劇場版Zみたいな立ち位置のものもあったりしますし、∀の黒歴史解釈で「何順目かの宇宙世紀にあったこと」とすれば頭ごなしに否定する必要もないですからね。
 それを踏まえて気になった点はいくつかありますが、やはり焦点になるのは結末辺りでしょうか。

 ラプラスの箱の中身自体は原作の小説版と同じ「本来の宇宙世紀憲章の石碑」でした。
 これ自体は、「当初から大したものではなかったが隠匿されてダシに使っているうちに話が大きくなって行き重大なものと化してしまった」という内容で、「こんな程度のもののために……」となるようなものであったのは意図してのものだと思います。色々なものの積み重ねによって少しずつ、重大な何か、と勘違いしてしまうようなものになっていた、と。
 シナリオのキーとしてのインパクトは決して強くはないですが、積み重ねられたものを考えると自然ではあるかもしれません。

 ネオジオングはもう少し機動戦をして欲しかったなぁという印象はあります。全身武装の塊ですし、デンドロビウムみたいとまでは行かずとも動き回りながら火力を発揮してくれたらそれと戦うユニコーンとバンシィの構図も映えた気がします。ネオジオング、ローゼンズールとの最終戦はちょっと物足りなく感じてしまいました。掴まれてからのユニコーンの徒手格闘は良く動いてたと思いますが……(笑)
 対して量産MSによる戦闘は良い感じでした。ああいう戦闘をもっと見ていたいぐらいです。
 サイコシャードは兵器としてはかなりやばいですね。広域化電子レンジみたいなものですし敵の武装は無効化しつつ一方的にダメージを与えられるのはチートクラスですよ。

 そして賛否両論別れそうな締めのフロンタル時空超越(仮)とサイコユニコーン(仮)ですが。
 前者の時空超越は原作小説だと過去視だけでなく未来視で∀世界も示唆するような書き方もしていましたから、それと比べるとマイルドな表現になっていた気がします。絵的な演出や表現はかなり派手で内容的にはぶっ飛んでいましたが視覚的には悪くない印象でした。
 サイコフレームを多用しまくり、ニュータイプとしての感受性や思考を巡らせ過ぎた結果、見えた、見せることができた幻想だったのかな、というのが私の感想です。
 実際に未来を見たり過去を見たり、というのではなく、サイコフレームで拡大された思考や記憶から生まれたイメージや思想の共有という形なのかな、と。
 関連して、フロンタルの正体についても色々言われていそうだなぁと思いましたが。
 結局シャア本人だったのか、という点に関して言えば私は違うと思います。原作では強化人間にシャアの人格を刷り込んだものという設定だったと思いますが、それと同じでメモリークローンか、人格を刷り込んだ強化人間だと思っています。確かアニメでは明言されていませんでしたよね。
 終盤におけるシャア、ララァ、アムロの一言ずつの掛け合いは「シャアを刷り込まれたフロンタルに呼び寄せられた思念によるもの」と思いたいのが本音です。フロンタル=シャア、あるいはシャアの思念が乗り移った強化人間、という考えは個人的にはしたくないですね。
 過去に富野監督の発言にあった「逆シャアにてアムロとシャアは死亡」を真としておきたいので。
 シャア、ララァ、アムロの掛け合いにおける「もういいのか?」あたりのやり取りは、フロンタルやバナージらの戦いの行く末を見たことで現世への未練が無くなり成仏するという流れが妥当かな、と思ったりしました。それもかなりオカルトですが。
 そしてオカルトと言えばサイコユニコーン。正式名称は良く分からないですが、神コーンとか言われたりもしてるようですね。原作にあった、神に等しい力を得た云々の記述からでしょうか。
 元々、UCという作品自体はニュータイプやサイコフレームの描写がこれまでの宇宙世紀と比べてもかなりオカルト的に描かれているような気がします。
 ファーストでは先読みや共感、テレパス程度でしたが、Z以降ではバイオフィールドの発生などが起きるようになりました。逆襲のシャアではアクシズを押し返す程になり、その力はまさに奇跡のようでもあります。
 UCではサイコフィールドの発生や衝突によって衝撃波などの物理的な力がかなり簡単に発生しているような印象があります。そもそも、UCの時代時点でのサイコミュ技術の最高峰であるサイコフレームで機体のフレームを構成しているという時点でユニコーンは破格の性能を誇っているわけで、そこにNT-Dのようなシステムを積んでいるからこその戦闘能力、ということでした。
 人の意思を力にするマシンが、これまでの戦いを通じて受けた人の意思や思いやバナージの強い思いの情報に当てられて、かつコロニーレーザーの直撃を防ぐほどの力場を発生させるだけの思いと、その衝撃で拡散したバナージの意識をサイコフレームが情報として受け取り、サイコフレーム=ユニコーンが意思を持った、というのが私の解釈です。
 ただ、それにしてもUCという作品自体がニュータイプをオカルト的に描き過ぎているきらいはあるかなと思います。
 前述のサイコフィールドの発生や共感思考の時空超越、サイコユニコーンと、ちょっと超能力的に描き過ぎている感が否めません。
 コロニーレーザーの防御も、ZZでハイメガを耐えるキュベレイを見ていれば発想としてはありだとは思うんですけどね。
 ニュータイプ論まで書き始めるとまた長くなり過ぎるのでそれは割愛するとして、UCは総じて面白い作品だったとは思いますが少々やり過ぎ感があるのも事実かなと思います。
 懐かしい機体や量産機などの名も無きエースパイロットたちの戦闘描写は非常に見応えがありましたし、登場人物それぞれの表情も細かく描かれていて、感情や人間関係なんかは中々良かったと思っています。
 まぁ、リディに関してはもう少しフォローというか敵から味方になるまでに時間をかけても良かったような気はしますが……(苦笑)
 それとマリーダには生存して欲しかったなぁ、というのが正直なところ。死んでしまうからこそ、と思わないでもないんですが、だからこそ生き残って欲しいキャラでした。リディに撃たれたのもわざとに見えましたし、そうすることでリディの頭を冷やさせたのだとも思います。出撃前のやり取りから察するに、肉体的にはかなりガタがきていて寿命が少なくなっていたりしたということなんでしょうか。

 感想まとめとしては、突っ込みどころはあるものの楽しめる作品ではあったと思います。
 最近のガンダムとしてはビルドファイターズも面白かったですが、あれはガンプラが題材だったのでMSの戦闘はあってもスポーツ的なものなので、命のやり取りをするガンダムとしては質の高い作品だったと言えるかと思います。AGEがあのザマでしたし(^q^)
 秋に始まるビルドファイターズ2期と、富野監督のガンダム新作『Gレコ』にも期待していますよ。
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テーマ:機動戦士ガンダムシリーズ - ジャンル:アニメ・コミック

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