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思考の最果て
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白銀(WriteIDEA)

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週刊 WriteIDEA -2018.6.29-
 <今週の白銀>
 週明けぐらいからやたら喉が痛く、鼻もぐすぐすしていたので風邪をひいていたかもしれません。熱やだるさはなかったのでそのまま過ごしていましたが、喉の痛みはやや後を引いて、ようやく治まってきたかなと言ったところ。この体調不良のせいか、日中も何だか眠気が強くてあまり集中力も続きませんでした。
 とりあえず『Newガンダムブレイカー』は一区切りつきました。
 プレイしていて、リアルタイムカスタマイズもオプション武装の廃止も、挙動やゲームスピードの低下も、全て対戦モード向けの調整なのだろうという結論に達しました。相手のパーツを奪い、攻撃手段を強制的に変更させたりしつつも、プレイヤー同士の戦闘はポイント稼ぎにおいて貢献度は低めで、メインはクエスト達成の競争という構造にしたのでしょう。問題はその調整をプレイヤーが望んでいたかどうか、プレイして面白い、楽しいと感じるかどうかというところで、私は全く楽しくなかったわけですが。
 本当にどうしてこうなったのか知りたいです。
 
 
 
 
 <創作の現況>
 ぐぬぬ……。
 
 
 <IDEA Pickup>
 今回の話題は『魔法的な概念』について。
 
 これまでにも何度か触れてきた気もしますが、私もファンタジー的な話は考えますし、特にバトル要素のあるものを考えることが多いので避けては通れない設定だったりします。
 魔法に限らず、特殊能力や、何かしら非現実的な事象を起こす要素は、そういったものが絡む物語にとっての華でもあります。
 私自身、これまで書いてきた作品のほとんどがそういった現実には存在しない要素を織り込んでいるので、世界観設定などを考える上でも無視できない話題です。
 これらを表現、描写する際に私が重視しているのは、理屈よりも「説得力」や「納得できるものかどうか」といった部分。説得力は理屈に通じるところもありますが、現実世界で考えてみても物理法則や自然法則について、私も理系出身なのである程度は理解している方だと思いますが、それでも完璧にあらゆる事象を説明できるわけではありません。
 例えば、人間が手を動かすことを考えても、脳からの指令が信号となって神経を通り筋肉を伸縮させて骨格を動かしているという理屈は説明できますが、その脳で発生する指令信号がどこからどうやって生じているのかまでは説明できません。そして思考や記憶といったものが脳内の電気信号や分泌物質のやりとりによって生じているものだとするなら、そもそもそれらを発生させているものは何なのか、電子や素粒子の動きが根本にあるならその動きを起こしているものは何なのか、思考や自我の根源とは、この世界が存在し物理現象として動き続けている根源とは、という話にもなってきて際限がないというか、理解が及ばなくなってきます。
 「魔素」や「マナ」「魔力」といった、都合の良い設定はそれらをある程度のところで止め、「それによって成り立つ」ということにしてしまえるものなわけです。
 これの良し悪しは人によるでしょうけれど、個人的には「作中においてそれで納得させられるかどうか」というのが物語作りにおいては重要かなと思っています。
 オリジナルの世界観におけるネーミングとも被る話ですが、どこまでを現実世界と共通にし、どこからを非現実のものにするかというのと似ています。
 現実世界における物理科学や工学技術は、その理屈を知らない者からすれば魔法と大差ありません。良く言われる「高度に発達した科学技術は魔法と同じ」という考え方です。これはつまるところ、「理屈は分からないが使えば結果が出る」というところで同じとするものだと私は考えます。
 言ってしまえば、その過程や理屈を説明するものが現実世界に存在し、今まで研究されてきた概念なのか、それに置き換わるあるいは全く別の創作概念なのかの違いではないかな、と。
 「超常現象を起こすものを超常設定で説明する」のはどうなのか、という話もあるわけですが、では逆に現実世界における様々な事象を説明する際の電子や素粒子の概念や法則が超常ではないとどうして言えるのか。ぶっちゃけた話「現実世界でこれまでに発見、研究された実在する成果だから」以上のことって言えない気がするんですよね。もっと言えば、「それによって現実世界が成り立っていると実証されてきた」から。たまに新発見によってそれまでの概念法則が塗り替えられたりもしますけど。
 そういった、「現実世界で実証されてきた現実的な原理」を創作世界に適用させ、現実的に説明できるものにするというのも、作品内容にもよるでしょうけどナンセンスなのではないかと思うわけです。
 では何故、創作における「その世界において当然のものとされている概念や法則」が受け入れられない、受け入れがたく感じるのか。
 恐らく、「現実的な描写・設定」と「非現実的(=創作的)な描写・設定」の間を繋ぐものが足りない、つまるところ納得しやすい構造になっていないからなのではないでしょうか。
 「どうしてそうなる?」という疑問に対して「そういう世界、法則だから」で終わらせてしまうとしても、そこに疑問を抱かせたり違和感を持たせたりする余裕を読者に与えずに話を読み進めさせることができれば、そこまで問題視しなくてもいいのではないかと思うようになってきました。
 当然ですが設定が練られているに越したことはありませんし、考え込まれた設定そのものが面白さに繋がることもあると思うのでもはや書き方次第、作品次第になってしまうのかもしれません。
 
 次回以降、何回かに渡って私が過去に書いた作品における超常設定について触れてみようかなと思います。
 
 
 <娯楽万歳>
 今回休載。
 
 
 <連載>
 『ユー・アンド・アイ(仮)』
 著:白銀   原案:遠藤敬之
 #10
 
 
「シルヴィ」
 僅かに青みがかった銀の髪を見て、その名前で呼んでみた。
 アッシュブロンドやプラチナと、どちらが近い色合いだろうか。配色する際には銀の色味を強くして、青みはほんの僅かに入れたアクセントのようなものだったはずだ。だとしたら、やはり色としては銀か。
 これも安直だろうか。
「シルヴィで、どうかな?」
「名前、ありがとうございます」
 遠慮がちにもう一度呼ぶと、彼女は嬉しそうに笑みを見せた。
 断るわけがないと分かっていても、またどきりとした。
 見た目の設計からして、自分の好みで選んでいるのだから当然と言えば当然だが、見とれてしまう。声のトーンや喋り方も、機械が発しているとは思えないほどに自然だ。
 服の包装を解き、シルヴィが着替える姿を目で追ってしまう。下着を身に着け、パンツを穿いてシャツに腕を通す。
 こうして実物を前にするまでは、心のどこかでもう少し人間味のないものを想像していた。
 いや、やろうとすればそういった線引きが明確に見えるAMATを発注することだって出来たのだ。ただ、それを選ばなかっただけだ。
 インターネットやメディアで、AMATの映った動画や広告など探せば腐るほど出てくる時代だ。自分でも購入前のイメージとして、そういったものに触れてきたはずだ。
 だというのに、こうして目の前に自分好みの姿かたちをした異性がいて、しかもそれが機械仕掛けだというのが何とも不思議な気分だった。
 
 
 ――つづく
 
 
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