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思考の最果て
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白銀(WriteIDEA)

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週刊 WriteIDEA -2019.2.22-
 <今週の白銀>
 先日突発的に書いた記事のツイートが思いのほかリツイートやいいねされていて、やっぱり旬の話題、というか渦中の話題だと人の目に止まり易いのだなと実感しています。
 あれから2日ほど(投稿期日は21日だけど、感覚的には20日に書いたものなので)経って振り返ってみると、書き足りなかったなと思う部分もあったりするので、今回コーナー設けて追記しています。
 ざっくり言うと、「狙ってこういう形にしているのか?」という内容なのですが。こちらはツイッターで紹介する用に切り離して単独記事としても投稿しようと思っています。
 
 
 
 
 <創作の現況>
 『救国のアルザード』進捗進まず。
 
 
 <IDEA Pickup>
 『規制』の話その4。
 
 今回は逆に規制することの意義を考えてみようかと思います。
 規制がかかるような描写を直接表示しないことで、そういう描写を苦手とする人でも作品を見続けることができる、というのはメリットではあるでしょう。その作品自体に興味はあっても、苦手とする描写があるせいで視聴できない、という人にとってはフィルターがあることで苦手な描写によるダメージを軽減することができます。
 とはいえ、表現そのものが変更でもされていない限りはフィルターされていてもそこにそういう描写があること自体は変わらないので、想像できてしまうということでノーダメージとはいかないでしょう。
 つまるところ苦手な人向けに完璧な規制をする、となると表現そのものを差し替え、あるいは変更することになります。
 分かり易い例をあげるなら、アニメで割とよくある、誰かが嘔吐などしているシーンを「しばらくお待ち下さい」とテロップのついた花畑のシーンに差し替えてみたり。些細なものでは、嘔吐されているモノがキラキラ光る何かに差し替えられていたり。
 若干ギャグっぽくなりますが、それによって生々しさが低減される効果もあり、表現としては柔らかくなるでしょう。
 
 さて、この「生々しさ」というのが恐らくポイントなのだと思います。
 リアルさ、とも言い換えていいかと思いますが、実写でも非実写でも、創作物から現実のそれを意識する、想像する、という部分を問題視しているのかもしれません。
 創作齧ってる身としては、受け手に「リアリティ」を感じさせるというのは感情移入や作品世界に浸ってもらうために重要な部分なのですが。
 ここまで書いてみて、やはり私個人の考えとしては規制することの意義ってあまり思い付きません。苦手な人のダメージ軽減止まりになってしまいます。
 描写次第で苦手な人がいるというのは承知の上で、生々しい描写をすることの何がいけないのでしょうか。それこそ、生々しさをなくしたらギャグみたいになっちゃう場合も多いと思うのですよね。
 グロにしてもエロにしても、生々しさが感じられないとそれを描写する意味がないと思うのですよね。そういったものが盛り込まれている作品には、何かしらそれを盛り込む意図というものがあると思いますし、そこを柔らかい表現にフィルターかけたり差し替えさせるというのは本質から逃避させているだけのように感じられなくもないのですよね。
 
 それにしてもそろそろこの話題についても書くことがなくなってきた気がします。
 
 
 <先日の記事に追記>
 少し間を置いて先日書いた記事を振り返っていて、また少し思ったことがあったので書いていきます。
 
 最初に前回の記事を簡単にまとめておきます。
 創作齧ってる一人の人間として、「私だったら続編をこの構成でやろうとは思わない」と書きました。つまるところ、「私ならクライアントからオーダーが無ければこういうストーリーやプロットにはしないだろう」という意味なわけで、今回の『けものフレンズ2』の構成や展開は指示されたものなのではないか、というのが大まかな推測です。
 その上で、不自然さや粗、前作ファンの多くが不満を言うような流れや形になっているのは明確な落ち度である、そこをカバーできなかったのはクリエイター側に非があるだろう、というのが結論でした。
 
 で、書き終えて、読み返していて思ったのは「もし仮にこれが狙ってのものだとしたら?」という思考でした。
 前回の記事で私が感じた不出来さや、不満を感じている人たちが抱く思いや感情、そういったものが、意図的に発生するように計算して作られている可能性はないか?
 可能性だけで言うなら、あると思います。
 指示、指定されたオーダーが不服で、意図的に視聴者が反感を抱くような構成や、設定の矛盾、描写の粗を作っている、という可能性はあるのかもしれません。
 疑おうと思えば、メディアなどでのインタビュー記事やツイッターなどのありとあらゆる発言でさえ、本音や本心とは違う建前を述べているのだと疑うことそれ自体はできてしまうからです。
 もっとも、己のクリエイターとしての評判に大きく傷をつけるようなリスクを負ってまでそこまでするか、というのはあります。可能性で疑い出したら、何が真実なのかはそれこそ本人にしか分からないものになってしまうので、そこは各自が信じたいものを信じるで良いとも思います。
 ともあれ私が自分の手掛けていない作品の続編を作れ、ただしこういう条件は必ず盛り込め、と指示されて作品を考える場合、重要視するのは「前作ファンに極力見放されないような内容」だと思います。
 前作キャラを出す、となればそれがどういう形であっても賛否が分かれるだろうというのは予測ができます。であれば、極力否が少なくなるような、納得のいく形、説得力のある形を模索するでしょう。問題の5話、6話はそういった部分の配慮に欠けている、と私は思ったわけです。
 
 自分以外の人が書いたものの続きを作る、というのは以前リレー小説を経験した身からすると、思いのほか気を使うことです。自分の思い通りに書いていいとしても、私の場合は他の人が作り上げたキャラクターをどこまで自分のものとして動かしていいのか、自分のものとして動かすにしても、他の人が作り上げたそのキャラクター性をどれだけ変化させずに動かせるか、そしてそれをまた他の人に明け渡すにあたって限られた範囲の中でどこまでキャラクター性が明確に伝わるよう描けるか、時には意識して、時には無意識のうちに、自分のものではなかったキャラクターを扱うという部分にはエネルギーを使っていました。
 それはそれで楽しくはありましたし、これは私の場合ですので全てのクリエイターがこういう感覚を抱くとまでは思いません。中にはここまで深く考えずに自分の感性と感覚にだけ従って書き進める人もいるでしょうし、それを否定する気はさらさらありません。
 ただ、私の場合はそうだったので、勘繰っている、というだけのこと。
 
 話を戻して、ある種話題になっている『けものフレンズ』というIPを潰すために『けものフレンズ2』をこんな形にしたのではないか、という推測ももしかしたらあながちハズレではないのかもしれません。
 『けものフレンズ2』の5話、6話で登場したジャングル仕様のラッキービーストの無能っぷりには、作中で「俺の警告のお陰で助かったな」とか、「もうジャングルのガイドは必要ないな。俺の仕事はここまでだ。あばよ」など言わせた後で「このラッキーさん結局あんまり仕事してないよね」と言わせているあたり、ジャングル仕様ラッキービーストが無能なのは製作側も把握していますよね。完全に舞台装置としてしか作用していないどころか、警報で驚かせる程度しか作中でも作用していません。
 というか不可抗力で役に立っていないならまだしも、パークの管理もしているはずの存在でありながら充電不十分で対策も取らず、態度も上から目線で、職務放棄をしているようにさえ見えて、描写的にもガイドロボットとして完全に欠陥品で、ギャグにすらなっていません。各地方に合わせた個体差にしても、あまりにもお粗末です。
 そこが分かるなら何故、他の諸々が疎かなのに突っ込みを入れないのか、それで良しとしているのか。
 パンダとレッサーパンダ回でのブランコ辺りの、結局直すことも間に合わずに壊れてしまい、助けることもできず、けれどそもそも助ける必要性すら薄い状況という、もう何をしたいのか分からない突っ込みどころしかない描写とか。
 個人的には「わざとやっているんじゃないか?」とすら思うほどに杜撰に感じる部分が多くあるので、前作の印象の上書き、あるいは批判を浴びることそのものが織り込み済みの炎上商法的な部分もあるのでは、と思えなくもないのですよね。
 
 だからと言って、これまでの「面白くなさ」「つまらなさ」「期待はずれ感」が許されるとは思いません。
 狙ってこういう反応されるものを作ったのであれば、製作側の狙い通りの感想を持ったということで「してやられた」と思う部分はありますが、だからと言って私は「わざわざ面白くない作品を作る」という姿勢そのものには一人の創作者としては嫌悪を抱きます。万人が楽しめるようなものは個人の趣味趣向がありますから不可能だとは思いますが、それでも多くの人が楽しめるように創意工夫するという姿勢は持つべきだと思うのです。
 フラストレーションを溜めに溜めて、最後のどんでん返しで引っくり返す、という手法をするにしても、そのフラストレーションが溜まっていく過程の部分にも、見ている人を惹きつけて放さない、飽きさせず呆れさせない、この先どうなってしまうのか気にさせてしまうような魅力というものを持たせようとするべきです。過程が単につまらないもの、面白くないもの、期待と違うものにしてしまっては、引っくり返す最後まで受け手に付き合ってもらえない可能性が高いからです。
 『けものフレンズ2』は現状、私にとっては、最終的にどういう形に落ち着けるのかという点で興味はあるものの、そういった魅力の感じられない作品になってしまっています。
 
 
 <連載>
 突発記事の関係で書く時間取れませんでした_(:3 」∠ )_
 
 
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